こんにちは、ハッピです!
今回は、麻原彰晃こと松本智津男氏の家族について書いていきたいと思います!
プロフィール
名前:麻原彰晃(あさはら しょうこう)
本名:松本智津夫(まつもと ちづお)
ホーリーネーム:マハー・グル・アサハラ
生年月日:1955年3月2日
年齢:63歳(2018年7月6日没)
出身:熊本県八代市
オウム真理教元代表
麻原彰晃氏は、6男3女の9人兄弟の第7子、四男として熊本県八代市の畳職人の家に生まれました。
祖父は熊本県出身の日本人警察官で、戦前に朝鮮半島に渡り、父は現在の大韓民国で生まれたそうです。
終戦後、祖父と父は朝鮮から引き上げ、叔父を頼り熊本県八代市に移り、地場産業であった畳職人になったようです。
育った家庭は貧しかったようですが、熊本県立盲学校を1975年に20歳で卒業後は東京大学受験を目指し上京しています。
1977年春、22歳の時に予備校・代々木ゼミナールに入学し、後に妻となる石井知子氏と出会いました。
東大受験は3度諦めています。
先天性緑内障のため、左目がほとんど見えず、右目の視力は1.0程度だったそうです。
12歳年上の長兄は全盲、5男も弱視でした。
1984年、29歳の時に株式会社オウムを設立しました。
妻について
麻原彰晃氏は、教団内に愛人が100人以上いたそうですが、妻となったのは松本(石井)知子氏のみです。
麻原彰晃の三女の現在画像www
アーチャリー松本麗華が
本で家族(父の松本智津夫&母の松本知子と
その長女・次女・四女・長男・次男)の
秘密を激白!詳細⇒http://t.co/PRJSHZM7N0 pic.twitter.com/3UH8qqMiYG
— アプリ紹介コレクション (@EdithPummell) 2015年3月22日
麻原彰晃氏の、こちらから見て左側にいる水色の服を着た女性です。
知子氏は1958年8月17日生まれの59歳(2018年7月6日時点)
旧姓は石井で、千葉県木更津市出身です。
千葉県立木更津高等学校卒業後、浪人しており、通っていた代々木ゼミナール代々木本校で麻原彰晃と隣の席になり知り合ったそうです。
木更津高校の現在の偏差値は66で、主な進学先としては「青山学院大学」「北海道大学」「福島大学」「横浜国立大学」などがあります。
麻原彰晃氏と松本知子氏は1978年、知子氏20歳の頃に結婚しました。
オウム真理教には1987年、29歳のときに入信しています。
子供について
麻原彰晃氏は妻の知子氏との間に子供6人、愛人の間に6人から9人ほどの子供がいるとされています。
長女:1978年生まれ、39歳or40歳
次女:松本宇未(うみ、仮名)、1981年生まれ、36歳or37歳
三女:松本麗華(りか)、1983年4月生まれ、35歳
四女:松本聡香(さとか、仮名)、1989年生まれ、28歳or29歳
長男:1992年生まれ、25歳or26歳
次男:1994年生まれ、23歳or24歳
三女の松本麗華さんは、本も出されているので結構有名ですよね。
一時期、よく ウーマンラッシュアワーの村本さんや、はるかぜちゃんのツイッターに登場されていました。
他の方は、顔出しをされていないようで、写真は見つかりませんでしたm(__)m
小さい頃ですが、この写真に三女さんと四女さんが写っています。
https://blog-imgs-112.fc2.com/s/i/n/sinzinrui/acyanori4.jpg
麻原彰晃の愛人の1人には、石井久子氏がいます。
(顔写真:http://sinzinrui.hippy.jp/angel/photo4/ishii.jpg)
短大を卒業後に入社した保険会社の同僚だった飯田エリ子氏に誘われ、麻原彰晃に出合いました。
1984年に入信、1986年6月に保険会社を退社して出家しています。
教団内での出世は早く、教団の広告塔としても有名だったようです。
役職は大蔵省大臣でした。
麻原彰晃との間に子ども3人(+死産1人)を産んでいます。
石井久子氏が愛人であることは、麻原彰晃の正妻・松本知子氏も知っていて、久子氏と知子氏はたびたび喧嘩していたようです。
(正妻・知子氏の旧姓は石井ですが、石井久子氏とは親戚関係にはありません。)
オウム関連の国土法事件、逆さ吊り事件、地下鉄サリン事件での犯人隠避容疑で起訴され、懲役4年の実刑判決を受けています。
1995年9月6日の逮捕翌日に、子どもの保護者不在を避けるため教団音楽部門のトップ鎌田紳一郎氏と結婚しました。
麻原彰晃の愛人としては、上祐史浩氏の婚約者であった都沢和子氏もいましたが、麻原氏と都沢氏の間に子供が出来たということはなかったようです。
また新しいことが分かり次第、更新いたします。
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