石原まき子(裕次郎妻)の国籍は韓国?若い頃の画像や子供についても!

こんばんは、ハッピです!

 

今週のシンソウ坂上にて、石原裕次郎さんの特集が放送されるようです!

私が物心ついたときには石原裕次郎さんは他界されていたのですが、母や祖父母から、石原裕次郎さんはめちゃくちゃ男前やったんやで~と聞いて育ったので、沢山いらっしゃる芸能人の方々の中でも別格の存在に思っています。

 

そんな石原裕次郎さんについては、石原慎太郎さんと石原良純さんのことしか知らなかったので、今回は奥様について書いていきたいと思います♪

 

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石原裕次郎さん

名前:石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)

生年月日:1934年12月28日

出身:兵庫県神戸市

身長:178cm

石原裕次郎さんの御命日は7月17日です。

1987年に52歳で亡くなられました。

野村 健太さん(@nomuken.0116)がシェアした投稿

ものすごく若くして亡くなられたのですね。

 

石原裕次郎さんは、山下汽船(現・商船三井)に勤める愛媛県出身の父と、広島県宮島出身の母の間に、次男として、兵庫県神戸市で誕生されました。

兄は石原慎太郎さんです。

 

幼稚園・小学校時代は北海道小樽市、中学校時代は神奈川県逗子市で過ごされ、高校は慶應義塾高等学校を卒業されています。

高校卒業後は、慶應義塾大学法学部政治学科に内部進学されます。

 

大学在学中から俳優を目指され、1956年に兄・慎太郎さんの芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の端役で映画デビュー。

その後、慶應義塾大学を中退して日活に入社されます。

「♪君は、何を今、見つめているの 」の歌が主題歌だったのかな、と思い調べると、違うようでしたm(__)m

(それは、「太陽がくれた季節」でした。)

 

石原裕次郎さんは「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな。」というポリシーを持ち、上下関係分け隔てなく接し、礼儀正しい方だったようです。

 

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妻の石原まき子さんについて

名前:石原まき子(いしはら まきこ)

旧姓:荒井

生年月日:1933年7月23日

年齢:84歳(2018年7月19日時点)

出身:東京都

石原まき子さんは、現在、石原プロモーションの代表取締役会長・石原裕次郎記念館館長をされています。

女優として、北原三枝(きたはら みえ)という名前で活躍されていました。

 

1956年に石原慎太郎さん原作の映画化作品『狂った果実』で、石原裕次郎さんと共に主演されています。

22歳とか23歳でお2人は出会われたんですね。

斎藤 咲さん(@red.crop.revolution)がシェアした投稿

その後も日活のドル箱コンビとして、お2人の共演作は23作も製作されたようです。

▼1959年「山と谷と雲」

石原裕次郎さんと石原まき子さん主演の映画のVHSです。

 

1960年に結婚され、女優から引退されました。

石原裕次郎さんと石原まき子さんの間に、お子さんはいらっしゃいません。

 

石原慎太郎さんには、伸晃さん(政治家)、良純さん(気象予報士・タレント)、宏高さん(政治家)、延啓さん(画家・美術家)と4人の息子さんたちがいらっしゃいます。

Wikipediaによると、裕次郎さんは甥の(兄・慎太郎の三男)宏高さんを養子にしたがっていたとも伝えられるそうです。

国籍について

石原まき子さんについてグーグルやヤフーで検索すると、「国籍」や「韓国」といったキーワードが検索候補に出てきます。

ですが、石原まき子さんに関して「韓国籍」といった事実はないようです。

 

有名人・芸能人の方については、たまに検索候補に「韓国」が上がっているのを見ます。

私が見たことがあるのは、ツイッター等SNSの名前をハングルにしていたり、タグにハングルが使っている、というような方でした。

 

石原まき子さんは、個人でSNSはされていないようです。

なぜ検索されているかについては、分かりませんでしたm(__)m

 

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