こんにちは。ハッピです!
昭和の和菓子元祖梅ジャムが製造を終了していたようです。
作ってる方のご高齢による体力の関係と機械の老朽化で、知ってる人は知ってるこの梅ジャム作ってる梅の花本舗さんが廃業になるらしい。作り方とか誰にも教えてないみたいだから、梅ジャムも今ある在庫限りですって pic.twitter.com/jwpJMpIt45
— ゆゆゆ ⊿ (@YU_wo__3kai) 2018年1月18日
ニュースサイト等の記事を読むと、梅ジャム作り手の高林博文さんは、たったひとりで梅ジャムを作ってこられたようですね。
ネット上では、終了を惜しんでいる人が多く、沢山の人に愛されていた和菓子だったのだなぁと思ったのですが、それならば後継者はいなかったのか、息子さんや娘さんは・・・?と疑問が沸きました。
ということで今回は、梅の花本舗の高林博文さんについて書いていきたいと思います!
プロフィール
生年月日:1930年 or 1931年(昭和5年 or 6年)
年齢:87歳
出身:東京都荒川区
梅の花本舗の元祖梅ジャムがとうとう製造終了。子供時代からの付き合いだった駄菓子がまたひとつこの世界から消えてしまうのか……これは地味にダメージがあるな……梅ジャムは後世に引き継がれるべき昭和の遺産だった。今までたった一人で作り続けてくれた高林博文さんに心より敬意を表したい pic.twitter.com/M2hiqV41b0
— 桂 (@1111425) 2018年1月25日
高林博文さんは、現在87歳なので、1930年又は1931年生まれでいらっしゃいます。
梅の花本舗を立ち上げ、梅ジャムの製造・販売を70年くらい続けられています。
1931年といえば、第二次世界大戦より前、くらいの知識しかなかったのですが、調べてみると、満州事変が起こった年だったようです。
1945年、14歳で終戦を迎え、疎開先の富山から東京荒川区に戻った高林さんは、食べていくために、浦安市まで自転車を漕ぎ、仕入れた魚やサツマイモを売っていらっしゃいました。
1947年、16歳のとき、乾物屋で見かけた梅干しのくずに水や小麦粉や甘味料を混ぜて、梅ジャムを開発されます。
梅ジャムは紙芝居に集まる子供たちの間で人気に。
時代の流れとともに、紙芝居屋もそこに集まる子供たちも減っていき、昭和30年代の主な梅ジャム販売先は駄菓子屋へ。
この頃に、ジャムの袋詰めを手作業から足踏み式の充填機に変え、奥さんと夫婦ふたりで製造をされていたそうです。
昭和40年代には、梅ジャムはスモモや杏あめなどとともに縁日の定番となり、ジャムの袋詰めは自動充填機に。
この機械は、2017年12月の製造終了まで使われていたようです。
バブル崩壊後から梅ジャムの売り上げは落ち、今の主な購入者は子供たちよりも、大人の箱買いだそう。
開発した当初から、梅ジャムの成分など変わった部分もありますが、手作業で作られているというところは変わっていないようです。
息子さんは後継者にならないのか
これほど愛されてきた駄菓子なので、大きい会社が作っているのでは?なら、子供さんが後を継ぐか、従業員の中から後継者が現れるのでは?と、思ったり、
結婚されていなくて、お子さんがいらっしゃらないのかも、と思ったりしましたが、
後継者を作らないのは、「あえて」だそうです。
国民学校(小学校6年生)までしか勉強していない自分(高林さん)でも、梅ジャムで人生を切り開いてきたのだから、息子さんたちも後を継ぐことを考えるのではなく自分で道を切り開き、高林さん以上になってほしいという願いがあるそうです。
「息子たち」と表現されていたので、子供さんは1人以上いらっしゃるようです。
年齢からいくと、お孫さんやひ孫さんもいらっしゃるかもしれませんね^^
まとめ
元祖梅ジャムの作り手・高林博文さんについて書かせていただきました!
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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